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「ええ、一つやって見ましょうか。誰でも懸(かか)らなければならん理窟(りくつ)のものです。あなたさえ善(よ)ければ懸けて見ましょう」
「僕は不愉快で、肝癪(かんしゃく)が起ってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」
「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩(きんぎょふ)のようにふわふわしているね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと云って引っ張り込んだそうだが随分呑気(のんき)だね」
「どうしたか聞いても見なかったが、――そうさ、まあ天稟(てんぴん)の奇人だろう、その代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟(りくつ)はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。しかし奥行きがないから落ちつきがなくって駄目だ。円滑(えんかつ)円滑と云うが、円滑の意味も何もわかりはせんよ。九*九*藏*书*网迷亭が金魚麩ならあれは藁(わら)で括(くく)った蒟蒻(こんにゃく)だね。ただわるく滑(なめら)かでぶるぶる振(ふる)えているばかりだ」
「なに大丈夫です。それじゃやりましょう」
「君は始終泰然として気楽なようだが、羨(うらや)ましいな」
「ええ」
「ええ、そう云う療法もあります」
主人はこの奇警(きけい)な比喩(ひゆ)を聞いて、大(おおい)に感心したものらしく、久し振りでハハハと笑った。
「先生もやるんですか」
「催眠術をかけるのはむずかしいものでしょうか」
「不平もいいさ。不平が起ったら起してしまえば当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、そう自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸(はし)は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、自分の麺麭(パン)は自分の勝手に切るのが一番都合がいいようだ。上手(じょうず)な仕立屋で着物99lib•netをこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下手(へた)の裁縫屋(したてや)に誂(あつら)えたら当分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服の方で、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手際(てぎわ)よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし出来損(できそ)こなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はなかろう」
「会計は近頃豊かかね」
相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術を懸けらるる事となった。吾輩は今までこんな事を見た事がないから心ひそかに喜んでその結果を座敷の隅から拝見する。先生はまず、主人の眼からかけ始めた。その方法を見ていると、両眼(りょうがん)の上瞼(うわまぶた)を上から下へと撫(な)でて、主人がすでに眼を眠(ねむ)って
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いるにも係(かかわ)らず、しきりに同じ方向へくせを付けたがっている。しばらくすると先生は主人に向って「こうやって、瞼(まぶた)を撫でていると、だんだん眼が重たくなるでしょう」と聞いた。主人は「なるほど重くなりますな」と答える。先生はなお同じように撫でおろし、撫でおろし「だんだん重くなりますよ、ようござんすか」と云う。主人もその気になったものか、何とも云わずに黙っている。同じ摩擦法はまた三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開(あ)きませんぜ」と云われた。可哀想(かわいそう)に主人の眼はとうとう潰(つぶ)れてしまった。「もう開かんのですか」「ええもうあきません」主人は黙然(もくねん)として目を眠っている。吾輩は主人がもう盲目(めくら)になったものと思い込んでしまった。しばらくして先生は「あけるなら開いて御覧なさい。とうていあけないから」と云われる。「そうですか
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」と云うが早いか主人は普通の通り両眼(りょうがん)を開いていた。主人はにやにや笑いながら「懸かりませんな」と云うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、懸りません」と云う。催眠術はついに不成功に了(おわ)る。甘木先生も帰る。
「なに訳はありません、私(わたし)などもよく懸けます」
「そんなら君は何だい」
「それでどうしたい」
「僕か、そうさな僕なんかは――まあ自然薯(じねんじょ)くらいなところだろう。長くなって泥の中に埋(うま)ってるさ」
「そいつは面白い、一つ懸けて下さい。私(わたし)もとうから懸かって見たいと思ったんです。しかし懸かりきりで眼が覚(さ)めないと困るな」
「なに普通の人間と同じようにしているばかりさ。別に羨まれるに足るほどの事もない。ただありがたい事に人を羨む気も起らんから、それだけいいね」
「なに同じ事さ。足るや足らずさ。しかし食うているから大丈夫。驚かないよ」
その次に来たのが―99lib.net―主人のうちへこのくらい客の来た事はない。交際の少ない主人の家にしてはまるで嘘(うそ)のようである。しかし来たに相違ない。しかも珍客が来た。吾輩がこの珍客の事を一言(いちごん)でも記述するのは単に珍客であるがためではない。吾輩は先刻申す通り大事件の余瀾(よらん)を描(えが)きつつある。しかしてこの珍客はこの余瀾を描くに方(あた)って逸すべからざる材料である。何と云う名前か知らん、ただ顔の長い上に、山羊(やぎ)のような髯(ひげ)を生(は)やしている四十前後の男と云えばよかろう。迷亭の美学者たるに対して、吾輩はこの男を哲学者と呼ぶつもりである。なぜ哲学者と云うと、何も迷亭のように自分で振り散らすからではない、ただ主人と対話する時の様子を拝見しているといかにも哲学者らしく思われるからである。これも昔(むか)しの同窓と見えて両人共(ふたりとも)応対振りは至極(しごく)打(う)ち解(と)けた有様だ。
「今でもやるんですか」
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